旧古河庭園(東京都北区)
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mixiアルバム「日光御成道/旧古河庭園・滝野川公園・西ヶ原一里塚・七社神社」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000056233168&owner_id=32815602
2012年04月11日 00:59
12.04.10.
●滝野川公園――
この辺りは、古代の武蔵国に置かれた郡の一つ豊島郡の郡衙(ぐんが) の中心部分があったところ。
昭和58(1983)年に発掘された御殿前遺跡は、先土器時代から近世にわたる複合遺跡。
●旧古河庭園――
ふるかわ。
正直、関心が薄いので、外部の景観のみとする。注釈なし。
関心はこれ。明治時代、ここは陸奥宗光の邸宅だったのだが、宗光次男 潤吉が、古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移ったのだ。
洋館から庭園からすべて、大正以降のものだ。
武蔵野台地の斜面を巧みに利用した造りとなっており、台地上に洋館を、斜面上に洋風庭園、台地下の低地部に日本庭園が配置されている。
(新宿御苑のアルバムが中途半端なのは……(=_=;) まあ同じ理由かな。目的がね…w)
●西ヶ原一里塚――
“日光御成道”の二里目。古来ままの位置を変えず保存されている。
道路工事にあたり、撤去されそうになるが、渋沢栄一公を代表とする運動が成功。
※参考「旧東海道中3 品川宿・本陣/養願寺/一里塚/尺貫法/」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000003621043&owner_id=32815602
※にっこうおなりみち――
徳川家康を祀った日光東照宮へ参詣するための街道。
江戸日本橋を起点に、本郷追分で中山道とわかれ、岩淵宿、川口宿、鳩ヶ谷宿、大門宿、岩槻宿を経て、幸手宿の南方で五街道の一つ日光道中と合流するまでの、5宿12里(約47キロ)の道のりをいう。
また、江戸〜岩槻間は、岩槻藩の参勤交代の順路となっていたことから、岩槻街道とも呼ばれていた。現在では、本郷通りと呼ばれる千代田区神田橋から、北区王子の飛鳥山公園前交差点で明治通りにぶつかるまでの区間が、かつての日光御成道に該当する。
●七社神社――
火災により古記録を焼失したため、創建年代等については不詳。
古くから西ヶ原村の鎮守であったよう。
もとは無量寺の境内(現在の古河庭園内)にあったが、明治初年の神仏分離の後、現在地へ遷座した。
・御祭神、
伊邪那岐命
伊邪那美命
天児屋根命
伊斯許理度賣命
市寸島比賣命
仲哀天皇
応神天皇――
(寄るつもりはなかったんだけど。ご覧のとおり書くことなくて。
団体さんがぞろぞろ進んでいくから、なにかあんだろうと思ったら……_| ̄|○
いつか来よう、いつか来ようと思ったまま、2019年現在いまだ訪問しておらず……(-_-;)
Albums: 東京都4北区・板橋区・練馬区/武州
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Comments (1)
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戸川サン家は東面のごく一部分にしか当たりません
04-10-2025 21:53 晴耕雨読 @黄昏の番犬 (0)
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